2019年3月15日金曜日

父が嫌い

今さらだが、私は昔から父が嫌いだ。



大学に進学したいと言ったときも、女に学問は要らないと言われた。
何日も何日も進学を打診したが何を言っても聞いてもらえなかった。

その時は祖母が今時女の子でも大学行っとかないと嫁にも行けない、と言ってくれて父は不承不承OKした。

その後、母が亡くなってからも、うちは娘2人だから食事に困らないと言いつつ、食事を作ると嫌いな野菜をため息をつきながらつつきまわして残すということを散々やられた。

私はジェンダー論者じゃないが、こうも女、女言われるのが本当に嫌だった。

そして、その後も何を言っても折れない。
話し合いをしてもいつまでたっても平行線だ。

揉める原因は些細なことだが、そのうち声が大きくなって、疲労感だけが残る。

もはや生理的に受け入れられない状況だった。
父と接すると消耗するので疎遠になり、連絡もあまりとらなくなった。

歳をとってからは、特に社会性が低下し、こうしてほしい、これは危ないからやらないでと言っても、わしの勝手や、どうせすぐ死ぬんや、と言い続けられた。

ソーラー発電をやると言いだした時も、ローンを組むのに保証人になってくれと言われたが、それを辞めさせるのに相当やりあった。

友人と話していると皆たいてい父親思い。
それに引き換え私は、と、いつも後ろめたい気持ちになるが、心の澱をなくすことはできない。

そんな経緯があったが、伯母から父に認知症の診断が出たと聞いてから、私のやることが一気に増えたが、それは父のためではなく、周りの人たちに迷惑をかけないため。
それはつまり自分に災いが降ってこないようにするためでもある。

父が認知症になって、当初はこちらの思っていることがうまく伝わらず、声を荒げてしまうこともあったが、最近はもう感情移入をしないことにした。

それはコンビニの店員さんがお客さんに接するように。
そこには優しさや愛は無い。
(本当の店員さんは気持ちをこめて接客していると思いますが)

単に適当に愛想よく、その場を流すだけ。
どうせ相手は私の思いなんて理解できない。
たとえ認知症じゃなかったとしても、ずっと折り合えなかったのだ。
逆に、認知症のおかげで揉め事が少なくなったくらいだ。

心の中で、認知症が進んでわがままがもっと減ってくれればいいのに、と悪魔がささやく。


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